「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がおまえのところにおいでになる。柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」       マタイ21章5節

 
イエス様のエルサレム入城のできごとです。

ミステリー
イエス様は、王として、エルサレムに入城されました。けれども、それは、柔和な王として入城されました。その意味するところは、この時点で、人々の間に隠されていました。ミステリーでした。このことを、今日、まず第一に心に留めたいと思います。

柔和な人
もう一つのこと。この「柔和」ということをイエス様がおっしゃったことがありました。それは、あの山上の説教の中、マタイ5章5節です。これもまた、ミステリーと言えます。日曜に、愛する兄弟姉妹と決して裁かれない関係の中で、交わりをもつ。けれども、月曜から、また、現実の生活に戻ったとき、そんな心のゆとりとか言っていられない現実の中を生きることとなる。それが、多くの人々の経験ではないでしょうか。わたしたちは、どのようにして、「柔和な人」として生きることができるのでしょうか。そして、地を受け継ぐ者となることができるのでしょうか。


実は、イエス様が、柔和な王としてエルサレムに入城されたということ、それが、「柔和な人々は、幸いである」というミステリーを解く鍵であるのです。人々は、イエス様を、王として迎えようとしていました。その奥にあった思い、それは、自分が王になりたいという思いでした。そして、それは、わたしたちの内にもある思いなのです。そして、そのような思いによって、わたしたちは食い合い、滅ぼし合ってしまうのです。そのわたしたちの罪のために、イエス様は、十字架への道を歩んで下さったのです。十字架の救いを贈り物として受け取ることを通して、わたしたちは、柔和な人にしていただくのです。

また逆に、イエス様がお教えになった「柔和な人々は、幸いである」ということが、イエス様が、柔和な王としてエルサレムに入城されたということを解く鍵であるのです。わたしたちは、どん底にいるのです。戦いの真っ只中にいるのです。そこで、神を仰ぎ、キリストを見上げるときに、キリストから贈り物として柔和を受け取ることができるのです。

(前川隆一牧師)

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