婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。       マルコ16章8節
 
イースターの朝のできごとが記されています。

ことばを失う経験
マルコによる福音書は、「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」という唐突な終わり方をしています。9節以降は、後の時代に、それを補うために書き加えられた部分と言われています。けれども、そのような唐突な終わり方をしているということにも意味があるように思います。人間は、あまりにもすばらしいできごと、あるいは、恐ろしいできごと、悲しいできごとに出会ったとき、ことばを失ってしまうのです。まさに、彼らは、ことばを失う経験をしたのでした。

先回りをして下さる主
とともに第二に、そんな女性の弟子たちの反応とは裏腹に、天使は、7節ですが、「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。」そう告げたということです。「震え上がり、正気を失って」いた女性の弟子たち、そんな彼らのことはおかまいなしに、主は、先にガリラヤへ行かれる。そう言ったということです。神様は、わたしたちの思いを越えて、先回りをして、「心にかけていてくださる」お方です。それは、何よりも、十字架と復活を通して、「心にかけていてくださる」お方なのです(Ⅰペトロ5章7節)。

新しいことば
第三のこと。女性の弟子たちは、その後、どうなって行ったのでしょうか。しばらくの間、われここにあらずといった期間を過ごしたに違いありません。けれども、やがて、キリストの十字架と復活が自分のためのできごとだったと悟ることを通して、自分のことばで、そのことを語り出したに違いありません。17節の信じる者に伴うしるしの一つとして、「新しい言葉を語る」ということが言われています。主にあって、彼らは、新しいことばを語る者とされて行ったに違いありません。

(前川隆一牧師)