「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」         マタイ21章5節

イエス様がエルサレム入城のできごとです。

王として
イエス様がエルサレムに入城されたとき、人々は、「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫びました。それは、イエス様が王としてエルサレムに入城された、ということを意味していました。実は、マタイによる福音書のテーマは、イエスこそ王である、ということでした。その最初から、イエス様がダビデの子としてお生まれになったということが強調され(1章20節)、東方の博士たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねています(2章2節)。イエスこそ王であるというテーマのクライマックス、それが実はこのできごとでした。

柔和な王として
イエス様は、王としてエルサレムに入城なさいました。しかし同時に、イエス様は、柔和な王として、エルサレムに入城なさいました。イエス様は、立派な軍馬ではなく、足が地面につきそうなろばに乗って入城なさいました。また、王としてエルサレムに入城なさりながら、その数日後には、十字架におつきになりました。王として、しかも、柔和な王として、このコントラストの中にメッセージがあります。イエス様は、武力で支配する王ではなく、十字架の愛によってわたしたちの心を支配する王としてお出でになりました。

あなたの王として
王としてお出でになったイエス様、そして、柔和な王としてお出でになったイエス様は、あなたのため、わたしのためにお出でになったお方です。わたしたちは、実は、何らかのものを王としています。ある人は、自分を王としています。ある人は、人の目を王としています。ある人は、過去を王としています。イエス様を王としてお迎えすることを通して、わたしたちは、ほんとうの平安と自由を自分のものとすることができるのです。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイ11章29節)。                                                                                                          

(前川隆一牧師)