鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」                       ヨハネ2章16節

 
イエス様による「宮きよめ」のできごとです。

熱心な人々
ここで、「謎」、「ミステリー」なのは、イエス様が、神殿で人々が礼拝をする、そのことを否定されたということです。神殿に礼拝にやって来た人々、彼らは、ユダヤ人の中でも、まじめに、神の戒めを守り、神を礼拝しようとする人々でした。熱心に、神の律法を守り、律法に適って、献げものと献げようとしていた人々でした。どうして、イエス様は、彼らのことを否定なさったのでしょうか。

契約
十戒、それは、シナイ契約という神様とイスラエル民族の間で結ばれた「契約」に基づいて、神様がお与えになった掟です。むずかしいのは、「契約」と言うと、英語では、一般的売買契約ということを表す「コントラクト」と聖書の契約を表す「カベナント」と、二つのことばがあるのに対して、日本語では、「契約」という一つのことばしかないということです。「コントラクト」では、その目的、それは、「利益」ということです。それに対して、「カベナント」では、その目的は「関係」ということです。律法が与えられた本来の目的が忘れられ、神様に対する人格的応答ということではなく、機械的に守られている。それが、イエス様が、激しく怒られた原因であったということです。

十字架
わたしたちは、熱心にやっていると思っていても、罪を犯してしまうということがあり得るのです。それは、最初の人間であるアダムが、人格的に神様に背いてしまった罪に起因していると聖書は語ります。その罪の解決のために、人格をもつ人間として、わたしたちの身代わりとして死んで下さった。それが、あのキリストの十字架のできごとでした。このキリストを信じ、受け入れることを通して、わたしたちは、罪赦され、神の子とされるのです。そして、主の赦しに根ざして、まじめによき市民として生きるようにとわたしたちは召されているのです。主の赦しに根ざして、熱心に奉仕するようにとわたしたちは召されているのです。

(前川隆一牧師)