それからイエスは言われた。「全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」  マルコによる福音書16章15~16節

マルコによる福音書16章の結び1と表題のつけられている部分です。マルコによる福音書のマルコが書いた部分は、人間の「恐れ」で終わっています(8)。今日学ぶ結びの部分は、それにかぶせるように神の救いということを語っています。

救いの広がり
第一に、「救いの広がり」ということに心を留めましょう。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(15)。イエス様は「すべての人間」と言う代わりに「すべての造られたもの」と言われていました。これは、イエス様が十字架で死んで、復活されたその救いは、個人の救いに留まらない。もっと広く、被造物全体に及ぶ救いであるということを示しています。キリストを信じて、クリスチャンとなる、そのとき、わたしたちの自分に対する見方、他の人との関係、そして、自然を見るときの感情も変化しているということを経験するのです。

救いのしるし
第二に、救いのしるしということに心を留めましょう。「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」(17~18)。その中で、すべての人に現れるしるし、それは、「新しい言葉を語る」ということです。人間の努力には限界があります。神様は救いという大きな袋で包み込んで下さいます。そして、新しい言葉を語る者として下さるのです。

救いの土台
第三に、救いの土台ということに心を留めましょう。「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」(16)。洗礼、それには、同一化という意味があります。キリストの名による洗礼、それは、キリストが十字架で死なれたようにキリストとともに古き人に死に、キリストが復活されたように新たに神の子としての命に誕生するときです。中身を外に、外面をなかに、それがキリストにあって経験するわたしたちの経験です。そして、神様がそのようにして下さる、それが洗礼のときなのです。

(前川隆一牧師)