イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マルコ9章17節

徴税人のレビがイエス様の弟子となっていったできごとです。

恵みによって
第一に、レビはどのようにして人生を新しくしていただいたのでしょうか。また、わたしたちはどのようにして人生を新しくしていただくことができるのでしょうか。それは、まったくの「恵みによって」です。イエス様は、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」とおっしゃいました(17a)。お医者さんを必要とするのは、病人であって、「自分は元気だ」と言う人は、お医者さんを必要とはしません。逆に、病人にとって必要なことは、お医者さんに身を任せること、それだけです。同じように、わたしたちが救われて新しい人生を歩むためのすべてのことをイエス様は成し遂げて下さって、わたしのもとに来なさいと招いて下さっているのです。

仕える人生へ
では第二に、レビは、そしてわたしたちは、救われてどのような人生へと招かれているのでしょうか。それは、人に仕える人生です。人に仕えることに喜びを見出していく人生です。先ほどの、17節の後半にこう言われています。「わたしが来たのは、正しい人を招くためでなく、罪人を招くためである」。ここで主客が逆転しているのが分かります。イエス様はレビによって食事に招かれたのでした。でも、ここで、イエス様の方が招く者としてご自分を示しておられます。レビは、イエス様をもてなしました。イエス様に仕えました。そして、そのことを通して、レビは招かれている。仕えられている、とイエス様はおっしゃっているのです。

イエス様のまなざしによって
では最後、三番目に、どのようにしてそのような仕える人生、仕えることの中に喜びを見出す人生へとわたしたちは前進して行くことができるのでしょうか。レビの場合、イエス様に招かれてすぐ立ち上がり、イエス様に従う者、イエス様と人々に仕える者となって行きました。多くの人の場合、それは、時間をかけてゆっくり起こる変化です。では、どうすればよいのか。それは、イエス様のまなざしを受け続けるということです。

(前川隆一牧師)