先週のメッセージ

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。                    ヨハネ21章12節

 
 ガリラヤにおいて、イエス様が復活のお姿を現されたできごとです。

主のもてなし
弟子たちは、今まさに漁という冒険に乗り出して、帰って来たところでした。また、何の獲物もないという世のむなしさ、世の厳しい現実に直面したところでした。その弟子たちは、十字架という冒険をくぐり抜け、復活されたイエス様が、もてなして下さる食事に与るという経験をしました。それは、弟子たちにとって、深い慰めといやしと励ましの経験だったに違いありません。

新しい戒めの完成
そのように、弟子たちがイエス様との麗しい朝食をともにした後、イエス様は、ペトロを個人的に呼んで、非常に印象的な会話をなさいました。このできごとは、イエス様が、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13章34節)とおっしゃいましたが、そのイエス様の教えが完成したできごとでした。その新しさ、それは、わたしのうちに、イエス様に従う愛はないという悔い改めをもってイエス・キリストを信じる。そのことを通して与えられる愛によって愛するという新しさでした。

偶像を明け渡す
そのように、イエス様とペトロとのやり取りが一段落したとき、ペトロがふと見ると、イエスの愛しておられた弟子、すなわち、ヨハネが見えました。つい、ペトロは、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」、そう尋ねます。それに対して、イエス様は、22節、「あなたは、わたしに従いなさい。」とおっしゃいました。わたしたちは、偶像を手放す、明け渡すとき、もしそれが必要なものであれば、わたしにとっての正しい位置に返していただくという経験をします。ペトロが経験したことはそのようなことでした。

これらのことは、礼拝を通してわたしたちも経験させていただく経験なのです。

(前川隆一牧師)

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わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。生涯わたしは主を呼ぼう。        …

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