先週のメッセージ

神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。         ヨハネ3章16節
 金持ちとラザロのたとえです。


第一に、「大きな淵」ということが言われていますが、それをつくり出したのは、わたしたち人間である。そのことを覚えたいと思います。ファリサイ人たち、彼らは、「律法主義」という越えることのできない淵をつくり出していました。サドカイ人たち、彼らは、因果応報という深い淵をつくり出していました。


第二に、その淵、深い淵に、橋を架けて下さった。それが、キリストであったということを覚えたいと思います。ファリサイ人たち、彼らは、「律法主義」という越えることのできない淵をつくり出していました。サドカイ人たち、彼らは、因果応報という深い淵をつくり出していました。その根底にあるもの、それは、人間の罪ということでした。その罪の解決のために、自ら命を捨てて、十字架で死んで下った。そして、そのことを通して、深い淵に橋を架けて下さった。それが、イエス・キリストでした。

ラザロ
キリストは、深い淵に橋を架けて下さいました。では、わたしたちは、どのようにしてその橋を渡ることができるのでしょうか。それは、「信仰」によってです。今日のたとえのカギのなることば、それは、「ラザロ」という名前です。「ラザロ」という名前、それは、「神の助け」、また、「神の助けなくして生き得ぬ者」という意味の名前です。「神の助けなくして生き得ぬ者」、そのように自ら認めて、イエス・キリストを信じる、その人こそが、深い淵に架けられたキリストという橋を渡り、神の祝福に入ることができるのです。

この世において繫栄している。それが、必ずしも神に祝福されているしるしではありません。わたしたちにとっての最高の富、それは、キリストなのです(エフェソ3章8節)。

(前川隆一牧師)

本日の礼拝動画はこちら

以前のメッセージ

聖書:マルコによる福音書7章15節 「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」 

聖書:マルコによる福音書15章34節 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

聖書:マルコによる福音書6章34節 イエスは舟から上がり、大勢の群集を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。   

そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。 マルコ6章7節a イエス様が12人の弟子たちを…

Page 125 of 143 1 123 124 125 126 127 143