ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。 創世記29章20節
ヤコブとレアとラケル、彼らは、三者三様の渇きを経験していました。その正体、それは、彼らの偽りの神、偶像でした。
偶像
ヤコブにとって、父イサクに愛されず、母リベカから引き離されてしまって、ぽっかり空いた空洞を満たそうとした。それが、ラケルという存在でした。また、ラケルは、「美しさ」ということが偶像となって行きました。美しさということが、彼女のプライドとなり、偶像となり、人との関係において壁を作るようになって行きました。そして、レアは、ヤコブの心を得るということが偶像となって行きました。
レア
第二に、そのような偶像礼拝という縄目からだれがいち早く抜け出すことができたのでしょうか。それは、ヤコブの心を得ようとしながら、決して得ることができなかった、言わば負け組とも言うことのできるレアでした。レアが、偶像の縄目からいち早く抜け出すことができた。それは、レアが主を呼び求めた。それだけでした。わたしたちは、このレアの道を通って、偶像の縄目から解放されることができるのです。
ヤコブ
最後に、ヤコブの物語の主人公であるヤコブが、どのように偶像の縄目から解放されて行ったのでしょうか。ヤコブは、主の顧みの中を歩んで来ました。そして、いよいよ自分の人生に行き詰まったときに、主を呼んだのでした。そのヤコブに、主は下りて来て、格闘するほどに関わって下さいました。このことは、聖書のあることを指し示しています。それは、キリストの十字架です。
主は、わたしたち一人ひとりをも顧みて下さっています。そのしるし、それが、キリストの十字架です。十字架に現された神様の顧みに信頼して神を求め、神を呼び求める。そこに、偶像礼拝から自分が解放され、人を解放する道があるのです。
(前川隆一牧師)
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