ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 マタイ17章5節
変貌山のできごとです。
造り主
このできごと、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、三人の弟子たちにとって、どんなできごとだったのでしょうか。それは、第一に、天における礼拝を先取りして経験させていただくできごとでした。まさに、イエス様こそ、神である。この世界をお造りになったお方であるという臨在に触れ、そのお方の前にひれ伏した。それが、このできごとでした。
贖い主
けれども、このペトロの認識は、不十分なものでした。第二に、このできごと、それは、イエス・キリストが造り主であるとともに贖い主でもあるということを示されたできごとでした。ただ、ここで注意したい、それは、贖い主と言うとき、キリストを信じるわたしという個人の罪を贖って下さるというだけではなく、罪により、汚され、壊されてしまったこの世界を、神様が創造し、良しとされた世界に贖い、回復して下さる。それが、イエス・キリストであるということです。
参与
そして、第三に、信仰者の歩み、それは、主の御声に聞き従う歩みである。そして、そのことを通して、神のみわざに参与する歩みであるということを、イエス様が示されたできごとでした。キリストを信じて歩む信仰の歩み、それは、主が世界を、宇宙を贖って下さるというみわざに、何らかの意味で参与しているという意識が表れている。それが、コリント第一の手紙15章58節なのです。
そして、わたしたちも、ペトロやヤコブやヨハネが体験させていただいた天の礼拝の先取りを経験させていただくことができるのです。それが、この礼拝なのです。主が造り主であり、贖い主であるということ。わたしたちが、主の贖いのみわざに参与する者であるということ。そのことがみことばを通して示され、確認され、このところから遣わされて行く。それが、礼拝、真の礼拝なのです。
(前川隆一牧師)