「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 ヨハネ4章14節
旧約聖書は、アラムの将軍、ナアマンの病の癒し、福音書は、一人のサマリの女性とイエス様との出会いについて記されている箇所です。
病が癒されたナアマン
ナアマンは、このできごとを通して、肉体の病がいやされました。それに対して、サマリアの女性は、心が変えられました。まず、列王記下5章のナアマン将軍です。ナアマンは、どのようにして、聖書の神、イスラエルの神の御利益に与ることができたのでしょうか。それは、ナアマンが、預言者エリシャを通して語られるイスラエルの神のことばに聞いて、従ったということでした。
心が変えられたサマリアの女性
エリシャを通して語られた神のことばを聞いて従うことを通して、病のいやしを経験した。それが、ナアマンでした。それに対して、ヨハネ4章は、神のことば、イエス・キリストのことばを聞いて、従うことを通して、心が変えられた一人のサマリアの女性の物語です。では、彼女は、どのようにして、心を変えていただいたのでしょうか。聖書は、それは、「転嫁」によると言います。実は、先のナアマンのいやしもまた、神様がナアマンの病を引き受けて下さって、ナアマンがいやされたできごとでした。聖書は、わたしたちの心の傷、棘、その奥にある罪は、だれかにそれを転嫁しなければ、いやされない。そう言います。そして、わたしたちの心の傷が、棘が、病が、罪が転嫁された。それが、あのキリストの十字架のできごとなのです。「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ書53章4~5節)。
(前川隆一)