「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」    ルカ19章9~10節
 
 徴税人ザアカイの救いのできごとです。

失われていたもの
ザアカイは、失われた状態にありました。彼は、徴税人となりました。しかも、このとき、徴税人の頭になっていました。彼は、金持ちになりました。けれども、いよいよ孤独になって行きました。それがザアカイの人生でした。ザアカイのように、仮面をかぶり、鎧をつけて生きている。それが、わたしたちの人生でもあるのではないでしょうか。

救い
第二に、そのザアカイは、救われるということを経験しました。救いというとき、それは、本来あるべきところに帰るということです。ザアカイは、イエス様に見つめていただき、名前を呼んでいただき、客となっていただくということを経験しました。ちょうど、北風と太陽のお話の太陽のようなイエス様の温かいまなざし、声、態度に接して行ったとき、ザアカイは、仮面を脱ぎ、鎧を脱ぎ、本来の自分をとり戻ることができたのでした。自分がほんとうに生きたいと思う自分に帰ることができたのでした。神様のなさること、イエス様のなさること、それは、人を本来のあるべきところに帰すということです。

ぜひあなたの家に泊まりたい
最後に、イエス様が、ザアカイと出会われたときに、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」とおっしゃいました。これは、直訳すれば、「あなたの家に泊まらなければならない」ということになります。イエス様は、たびたび、「わたしは・・・しなければなりません」とおっしゃいました。イエス様は、自分のわがままな思いではなく、父なる神様のご意志、みこころに従って歩まれました。そして、それは、十字架の死へと続く歩みでした。イエス・キリストの救い、それは、永遠に神と和解し、神の子とされ、永遠の命を受け継ぐという祝福をも含んでいます。そのことを実現するために、イエス・キリストは、十字架への道を歩まれたのでした。

(前川隆一牧師)

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