すると、「これはわたしの愛する子、選ばれた者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。                       ルカ九章35節
 イエス様の変貌のできごとです。


ルカは、このできごとを夜のできごととして記しています。ペトロは、夜の闇の中で、その闇を照らすイエス・キリストの光を見たのでした。そして、「これに聞け」という父なる神様の御声を聞いたのでした。まず、闇ということ。イエス様が内にもっておられた栄光が、普段は肉体という幕屋によって隠されていたように、逆に、闇というものも、普段覆われていて、目に見えないものです。そして、何かの拍子に、それが、噴き出して来る。それが、闇というものです。

あわれみ深いお方
闇ということ。わたしたちは、闇の現実の中を生きています。いや、わたし自身の中に闇を抱えて生きています。そんなわたしたちに対して、父なる神様は、「これに聞け」と招いておられるのです。どうして、イエス・キリストに聴いて従うようにと招かれているのでしょう。それは、イエス・キリストが、あわれみ深いお方だからです。自分の罪の現実に、闇の現実に、頽れているわたしたちにやさしく語りかけ、導いて下さるお方。それが、主イエス・キリストであるのです。

罪と死を解決して下さったお方
もう一つのこと。それは、イエス・キリストが、わたしたちが抱えている闇の根本的な問題である罪と死を解決して下さったお方だからです。山上においてイエス様と語り合っていた、それは、モーセとエリヤでした。彼らは、律法と預言者を代表する存在であって、決して、律法そのもの、あるいは、預言者そのものと言える存在ではありませんでした。聖書のほとんどの部分は、ことばによって、神様のみこころを告げています。そして、その語られていることのゴール、それは、キリストの十字架であるのです。イエス・キリストは、わたしたちにとって根本的な問題である罪と死を解決して下さったお方なのです。だからこそ、このお方を信じ、このお方に委ねながら、安心して、人生を生きることができるのです。

(前川隆一牧師)