こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。
ヨハネ11章43節
イエス様が、兄弟ラザロを失ったマルタとマリアをお訪ねになった場面です。
憤り、泣いて下さるお方
イエス様は、どんなお方なのでしょう。わたしたちは、試練が打ち続くとき、「神も仏もあるものか」と思います。神様はおられたとしても、天の高いところで、わたしたちの現実を見下ろしておられるお方ではないか。そんな風に思うことがあります。でも、そうではないのです。第一に、神でありながら、わたしたちの現実にまで降りて来て、わたしたちとともに、心に憤りを覚え、泣いて下さる。それが、イエス・キリストというお方なのです(33,35)。
ラザロを生き返らせる資格をもったお方
第二に、今日の箇所で、イエス様は、43節、「ラザロ、出て来なさい」、そうおっしゃって、ラザロを生き返らせられました。イエス様は、ラザロを生き返らせることができる資格をお持ちのお方でした。罪のないお方にして、わたしたちの身代わりに十字架で裁かれて下さるお方。それこそ、ラザロを生き返らせることができるイエス様の資格でした。
訪れて下さるお方
神でありながら、わたしたちの現実にまで降りて来て、わたしたちとともに、心に憤りを覚え、泣いて下さる。それが、イエス・キリストというお方です。イエス様は、信じるわたしたちといつもいっしょにいてくださいます。でも、そんな中で、特にイエス様を近く感じるとき、それは、どんなときでしょうか。それは、弱さの中にいるときです。そして、わたしたちにとって、もっとも弱さを感じるとき、それが、死のときです。その死という弱さの中で、イエス様はともにいて下さるのです。それだけではなく、死を解決したお方として、わたしたちを背負って、父なる神様のみもとへと運んで下さる。それが、信仰者が経験する恵みの経験なのです(イザヤ書46章4節)。
(前川隆一牧師)