絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。 ルカ24章53節
イエス様の昇天のできごとを含む、ルカによる福音書の最後の部分です。
よいことば
今日の詩編47編と福音書の共通点、それは、賛美ということです。ルカ24章53節で、「ほめたたえる」と言われている、それは、「よいことばを語る」とも訳すことのできることばが使われています。神をほめたたえることば、賛美ということを中心に据えた詩編を数多く創作、整備して「ほめ歌をうたえ」ということを神のことばとして定着させる土台を据えた、それは、ダビデでした。そして、中世の時代、もう一度、賛美を歌うものとして会衆に取り戻した、それが、ルターでした。
与えられるもの
けれども、わたしたちには、いつもいつも、神を賛美することばを語り得ない現実があるのではないでしょうか。その説き明かしをする一つのこと。先ほど、ルターのことに触れました。ルターの作詞した讃美歌として有名な「神はわがやぐら」、それは、今日読まれた詩編47編の一つ前の46編をもとにして作られました。「力を捨てよ」ということがうたわれている、それが、詩編46編であり、それを受けて、賛美がわき上がっている、それが、47編ということです。息を吐いて、吸い込むように、思いを受けとめていただいた上で、与えられて、わたしたちは、神を賛美することば、よいことばを語ることができるのです。
心を開かれる
第三のこと、それは、心を開いていただく必要があるということです(45)。わたしたちの信じる神様は、イエス様は、どんなお方なのでしょうか。裁きの神、罰を与えようと待ち構えておられるお方なのでしょうか。そうではありません。わたしたちのために、また、わたしたちの代わりに、まことの人として、苦しみ、悩み、傷つき、死んで下さったお方です。そして、今も、人間として経験する苦しみも、悩み、痛みをすべて知るお方として、天において、わたしたちのことをとりなして下さっているお方なのです。
(前川隆一牧師)