「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。」ヨハネ14章15節
「聖霊を与える」と表題のつけられている部分です。
孤独のいやし
今日の箇所で、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る」(18)と言われている「あなたがたのところに戻って来る」というのがいつのことなのかが、重要です。それは、聖霊が来て下さるときのことを指しています。聖霊が来て下さることを通して、弟子たちは、孤独のいやしを経験したのです。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わし、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(16)。
掟を守り行う
また、聖霊が来て下さることを通して、弟子たちは、イエス様の掟を守り行う者とされました。どうして、聖霊が来て下さる前、弟子たちは、イエス様の掟を守り行うことができなかったか。それは、律法によって、自分のがんばりによって、イエス様の掟を守り行おうとしていたからでした。聖霊は、キリストを指し示し、また、キリストの十字架と復活の意味を解き明かして下さるお方です。聖霊によって、キリストの十字架と復活の意味を悟り、キリストを救い主と信じることを通して、そのキリストの父なる神様のことを愛なるお方、恵みに満ちたお方と、弟子たちは受け留める者とされたのです。そして、キリストによって新しくされた者として、掟を守る。すなわち、愛し合う者とされたのでした。
苦難を神からの試練と
また、聖霊によって、苦難を神の罰ではなく、神からの試練と受け取る者とされました(ヨハネ16章33節)。人生には、戦いがある。苦難がある。試練がある。キリストを信じる者にも、戦いがある。苦難がある。試練がある。いや、キリストを信じたが故に経験する戦いがある。苦難がある。試練がある。それは、それを取り去って下さいと祈るものではなく、その戦いを通して、苦難を通して、試練を通して、自分たちがキリストに似た者とされて行くために、父なる神様がゆるしておられる試練である。そう弟子たちは理解して行ったということです(ヘブライ12章10~11)。
(前川隆一牧師)