「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

                               マタイ11章28節

 

 有名なイエス様の招きのことばです。

来なさい

 イエス様の招きのことばは、三つの動詞からなっています。その第一は、「来なさい」ということばです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」とイエス様は、招いておられます(28)。何気なく読み過ごしてしまいそうなみことばですが、たいへんなことがここで語られています。「だれでも」わたしのもとに来なさい、と招くことのできる人がこの世の中にいるでしょうか。わたしたちの重荷、その根源的なところに横たわっているのは、罪の現実です。そのわたしたちのすべての罪の裁きの身代わりとして十字架で死んで下さったお方であるがゆえに言うことのできることば、それが、「だれでも」ということばです。

くびきを負いなさい

 イエス様の招きのことば、その第二は、「くびきを負いなさい」ということばです(29)。「休ませてあげよう」と言ったしりから、新しい重荷を負わせるのか、と反発を感じる方もあるかもしれません。けれども、わたしたちは「何の使命も目的もない」ということになれば、逆に生きる希望を失ってしまうのです。イエス様は、わたしたちにふさわしいくびきを与えて下さるのです。

わたしに学びなさい

イエス様の招きのことば、その第三は、「わたしに学びなさい」ということばです(29)。イエス様に学ぶとは、どういうことでしょうか。学ぶことの基本は、まねることです。イエス様の生き方に学んで、仕える者として生きる、それがイエス様に学ぶということです。「来なさい」と招いて下さっているイエス様のもとに重荷を下ろし、その上で、イエス様のくびきを負い、イエス様に学ぶ。そのことを通して、わたしたちは、ほんとうの安らぎを得ることができるのです。

                                                                                                                                    (前川隆一牧師)