ところが、ほかの種は良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。                  マタイ13章8節

有名な種蒔きのたとえです。
みことばの力
マタイによる福音書13章18~23節に、今日のたとえ話の説明が記されています。それによると、種は神のことば、みことばのことであり、四つの土地はそのみことばを受け取る人の心、魂の状態を表していることが分かります。それでは、どうして四番目の土地だけ実を結んだのでしょうか。神のことば、みことばには、人を造り変える力があります。けれども、四番目以外の土地では、人間の罪が邪魔をして、みことばの力が現されなかったのでした。
良い土地とは
それでは、良い土地とはどんな人のことなのでしょうか。また、わたしたちは、自分は、「道端だから」「石地だから」「茨だから」と、運命論的にあきらめてしまうしかないのでしょうか。今日の箇所の並行箇所であるマルコによる福音書4章では、「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり」とあります(マルコ4章20節)。みことばを聞いて受け入れる、そのとき、神様がわたしたちの心、魂を良い土地に造り変えて下さるのです。聞いて受け入れる、そこに求められることは、けんそんということです。そこで経験するのは、砕かれるということです。自分の思いが砕かれて、神様のみこころがなって行く、それが、わたしたちの信仰の歩みです。
時が良くても悪くても
第三に、そのように神のみことばに対するさまざまな反応があることを知って、その上で、わたしたちはみことばをどのように伝えていくよう召されているのでしょうか。それは、時が良くても悪くても、いろいろな仕方でみことばを伝え続けていく、それがわたしたちに委ねられた召しなのです。
「いのちが育つこころ」、それは、絶えずみことばに立ち返っていくこころです。                                                              (前川隆一牧師)