そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」       マタイ13章52節

今日の箇所は、天国についての三つのたとえと、イエス様が弟子たちに向かって「あなたがたは、天の国のことを学んだ学者である」とおっしゃったこと、とです。
隠された宝
第一のたとえは、ある人が畑を耕していて偶然、宝物を見つけた。彼は、そっと埋め直し、全財産を処分して現金に換え、その土地を買った、というたとえ話です。そのように、天国は、隠された宝のようです。
最高の宝
第二のたとえは、真珠商人が最高の真珠を見つけた。彼は、全財産を処分して現金に換え、その真珠を買った、というたとえ話です。目的をもって人生を生きるということはたいせつなことです。でも、その人生の途上において、イエス・キリストと出会うなら、最高の人生の目的を自分のものとすることができるのです。
裁きはある
第三のたとえは、網引きのたとえです。このたとえを通して、イエス様は、天国が確かにあるように、裁きも必ずある、ということを警告しておられます。

そのように三つのたとえを語られた後、イエス様は、弟子たちに向かって、「あなたがたは、天の国のことを学んだ学者である」とおっしゃいました。学者と言うと、頭でっかちな感じがします。天国のことをマスターした人、免許皆伝を受けた人という方が、イエス様が意図しておられることにぴったり来ます。なぜなら、天国、それは、わたしたちが日々の生活の中で体験するものだからです。「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17章21節)。そして、「天の国のことを学んだ学者は、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」と、イエス様はおっしゃいました。わたしたちは、古いもの、すなわち、罪人の苦しみを共感、理解しつつ、新しいもの、すなわち、神の子として生きる祝福を語るようにと召されているのです。

                                                                                                                               (前川隆一牧師)