女は言った、「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」 マタイ15章27節
イエス様がティルスとシドンの地方に行かれたときに出会われた一人のカナンの女性の信仰について記している箇所です。
熱心な信仰
この女性の信仰は、第一に熱い信仰、熱心な信仰でした。この女性は、少なくとも三つのハードルを乗り越えてイエス様に求め続けて行きました(23、24,26)。拒絶とも思えるイエス様の態度、おことばにもひるまず、求め続けて行きました。イエス様のご愛にすがって、熱心に、いい意味で「あつかましく」求め続けて行きました。わたしたちも、この熱心さ、いい意味でのあつかましさを身につける必要があるのではないでしょうか。
けんそんな信仰
この女性の信仰は、熱心な信仰でした。と同時に、第二に、へりくだった信仰、けんそんな信仰でした。イエス様が「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない」と言われると、それを受けて、「主よ、ごもっともです」とへりくだった上で、「しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」と切り返していきました(27)。非常にけんそんです。冷静です。この女性の信仰のすばらしいところは、この熱心さとけんそんさの絶妙のバランスということでした。
大きな信仰
第三に、イエス様は、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」とおほめになっています(28)。この「立派だ」というのは、原文の聖書では、「大きい」という意味のことばが使われています。大きい信仰、それは、どんなマイナスの状況の中にあっても、信じ抜いていく信仰、自分を大きくするのでなく、神様を、イエス様を大きくしていく信仰です。
熱心な信仰、けんそんな信仰、大きな信仰、そんな信仰を彼女が持ち得た、それは、娘を愛する愛ゆえでした。わたしたちも、人を愛する愛とイエス様に対する信仰によって、このカナンの女性のような信仰を持つ者とならせていただきましょう。
(前川隆一牧師)