「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」     マタイ16章17~18節

 

 弟子たちのリーダー格であるペトロが、「イエスはメシア」と信仰告白した場面です。

人類史上最初のメシア告白

 このできごとは、いろいろな意味で分水嶺と言えるできごとでした。第一に、ペトロが言わば人類を代表して、「イエスはメシア」と告白した、そういう意味で分水嶺のできごとでした(16)。告白というと、罪の告白、信仰告白、プロポーズとして告白といったことが思い浮かびます。ペトロの告白は、神様からのプロポーズを人類を代表してペトロがお応えしたできごとでした。

わたしの教会を建てる

 イエス様は、ペトロのその信仰告白の土台の上に教会を建てるとおっしゃいました。教会の歴史の始まり、そういう意味で分水嶺のできごとでした。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」(18)。黄金のドームの真ん中にある岩は、イスラム教徒にとってもユダヤ教徒にとっても聖なる地となっています。しかし、新約の時代に生かされているわたしたちは、特定の場所を聖なる場所とすることはありません。「イエスはメシア」との信仰告白の上に、主は教会を建て上げて下さるのです。

十字架への道

 この後、イエス様の歩みは、それまでと歩みと明らかに変わっていきました。まっすぐに十字架へと向けられて行く歩みとなっていきました。そういう意味で分水嶺のできごとでした。ところで、イエス様が「これから、わたしは十字架へと向かって行こうとしている」と予告されたとき、ペトロはどんな反応を示したでしょうか。「そんなことはあってはなりません」とイエス様をいさめようとし、イエス様から「サタン。引き下がれ」と叱責を受ける者となりました。そんなあやふやな信仰の上に教会は建っているのでしょうか。そんな弱い罪人のために、主は十字架で死んで下さったのです。そんな弱い罪人に信仰告白のことばを与えて下さった、それは、天の父なる神であり、聖霊であるのです(17)。ペトロに信仰告白のことばを与えて下さったキリストご自身を土台とする、それがキリスト教会なのです。

                                                                    (前川隆一牧師)