マタイ21:33~44

神様はあなたを必要としておられます。神様は誰一人をも必要のない人と言われません。

イエス様はファリサイ人たちに譬えでお話をされました。ぶどう園を整えて旅に出た主人が葡萄の世話をし収穫をするために農夫たちをおもちいになるように、神様に造られ、イエス様につながる洗礼によって罪を赦されて神の子とされた私たちも、神様の世界というぶどう園でそれぞれの持ち場が与えられて日々働いています。神様はあなたを必要としています。

さて、驚くべきことに、収穫の季節に主人が二度も送僕たちを送りますが農夫は乱暴に殺しました。主人は遂に大切な一人息子を送ります。なんと農夫は彼を園の外で殺し、主人の遺産を狙いました。これは神様の救いを待ち望んでいたイスラエルの人々の姿でした。預言者たちを敬わず、神様のひとり子であるイエス様自身を都の外の十字架で殺してしまうのです。聴衆のパリサイ人と律法学者は自分たちのことと知り、立腹しました。

さて、私たちもつい人生を「自分の人生」と思っています。苦しくなると神様に助けを求めますが、それ以外は思いにまかせて生きつつ神様には見守って援助してもらおうと思っています。うまくいかないと人を妬み自己卑下をし、うまくいくと傲慢になります。神様の言葉を聞かず、神様があなたを導こうとすると、外へ追い出してしまう自己中心な信仰生活を送ります。

イエス様は私たちの心をご存じです。人生の家を建てるためにイエス様を用いません。しかし私たちが捨てた石が隅の親石になったと42節にあるように、イエス様はあなたの罪のために死んでそれを赦し、あなたの人生を再建する重要な最初の石となってくださいます。イエス様があなたのコーナーストーンです。悔い改めて信頼し、神様と人々に仕える一週としましょう。神様はあなたを必要としています。

              (正木牧人師)