イザヤ 40:1-8   マルコ 1:1-8

呼びかける声とはいったいだれの声で、何を叫ぶのですか。

イザヤはBC700年ごろ活動した預言者で、「呼びかける声」が叫ぶ内容は、まず「道を備えよ」40:3.谷を埋め山を削り広い道を。それは「わたしたちの神のために」とありますからわたしたちの心に、神様をお迎えする準備を意味しています。

新約聖書の時代にその預言の「呼びかける声」として「洗礼者ヨハネ」が出現しました。ヨハネはイエス様を心に迎える道を備えよとすすめました。マルコ1:1-4.

「呼びかける声」は代弁者ヨハネを通して、神様が当時の人々に語られたのです。

さらに、現代の「呼びかける声」は聖書です。聖書が、イエス様を信じるよう心に道を備えよと、読む人に呼びかけます。聖書は神様のことばで、神様の「呼びかける声」です。また、聖書を解き明かす説教者を通しても神様は聞く人に呼びかけておられます。テサロニケ第1 2:13

洗礼者ヨハネは、心に道を整えるとは、「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べつたえ」ました。マルコ1:4.クリスマスの備えは、ツリーもキャンドルもリースもいいですが、悔い改めが最重要の準備です。

キリスト教の救いは、イエスさまの十字架の贖いの死による罪の赦しです。その救いをいただくためには、悩みを神様にうちあけ、心配事の解決をお願いする祈りもせずにはおれませんが、まず、「罪の赦しをいただくために悔い改める」ことです。

悔い改めがなくてはクリスマスの祝いがあっても、罪の赦しの救いはありません。イエス様を心にお迎えしたわたしたちは罪の赦しの救いをいただきます。

呼びかける声が叫ぶ内容のもうひとつは「人はみな、草に等しい」40:6。しかしそれに対比して「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と宣言されます、40:8。神様とあなたの間をへだてた、罪、神に喜ばれない不従順、神様のまえに隠し事があると、喜びが消えます。神様の前で、悔い改めましょう。悔い改めは感情的に煩悶して、涙をながしてという面もありますが、それよりも、理性で、意志で、神様に告白していない暗闇に隠しておきたい不品行、恨み、軽蔑などひとつづつ告白しましょう。そして罪の赦しを信じるのです。イエスさまの十字架のお苦しみが赦しの根拠です。その救いを信じましょう。神のことばは永遠に変わらないからです。

ルターは「わたしたちの主イエスが『悔い改めよ』と言われたとき、わたしたちの全生涯は悔い改めの生涯であるべしとされた」と説明しました。

クリスマスを迎えるあれこれの準備とともに、悔い改めて救い主イエスさまを信じましょう。その救いは確かです。消えかかっていた信仰も、喜びも、再び燃え上がるのです。

(有木義岳師)