イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」 マルコ5章34節
12年間も出血の止まらない病気を患う女性がイエス様の服に触れていやされたできごと、イエス様が死んでしまったヤイロの娘を起き上がらせて、ヤイロにお渡しになったできごとです。
信仰―イエス様のもとへ行くこと
第一に、信仰とはイエス様のもとへ行くことです。ヤイロは、イエス様の前から堂々と、出血の止まらない病気の女性はイエス様の後ろから人々に紛れて近づきました。けれども、共通していることがあります。それは、二人とも絶望を経験したということです。人間的に望みが絶たれた状態。でも、そこでイエス様のもとへ行く、それが信仰なのです。
信仰―イエス様とともに歩むこと
第二に、信仰、それは、イエス様とともに歩むことです。イエス様が出血の止まらない女性とやり取りしておられる間に、「お嬢さんは亡くなりました」との望みが絶たれる知らせをヤイロは聞くことになります。でも、イエス様は「その話をそばで聞いて、『恐れることはない。ただ信じなさい』と会堂長に言われ」ました(36)。イエス様は、あるときはわたしたちの側にいて、わたしたちの思いを受け留めて下さるお方です。そして、あるときには、わたしたちの前を歩き、わたしたちを引っ張っていかれるお方です。このお方とともに歩む、それが信仰の歩みです。
信仰によってすこやかに生きる者とされる
第三に、キリストを信じる信仰によってわたしたちはすこやかに生きることができる、ということを覚えたいと思います。出血の止まらない病気がいやされた女性に向かって、イエス様は、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心していきなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」とおっしゃいいました(34)。キリストを信じる信仰によって、わたしたちもすこやかに生きることができます。その中心は魂のことです。魂の救いをいただくことを通して、わたしたちは、肉体は衰えてもすこやかに生きることができるのです。
(前川隆一牧師)