そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」 マルコ7章37節
イエス様が耳が聞こえず口の利けない人をいやされたできごとです。
一対一で向かい合われた
今日の箇所を通して第一に心に留めたいことは、イエス様が、この人と一対一で向かい合われたというこということです(32)。イエス様は、大群衆に向かってお話をなさり、五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人々を養うといった奇跡も行われましたが、それとともに、先週のギリシャ人の女性や今日の箇所のように、その人と一対一で向かい合って行かれました。そして実は、それこそがイエス様のなさり方でした。同じように、イエス様は、一人の人として、このわたしと向かい合って下さるのです。
ため息をつかれた
イエス様は、一対一でこの人と出会って下さいました。そして、非常に手の込んだ仕方でいやしを行われました(33)。イエス様は、「今からあなたの耳を聞こえるようにしようとしている。あなたの口を話せるようにしようとしている」と理解させ、その上でいやしを行われました。そして、34節、「そして、天を仰いで深く息をつき」とあります。イエス様は、いわゆるため息をおつきになりました。わたしたちがため息をつく、それはどんなときでしょうか。つらいとき、しんどいときではないでしょうか。イエス様がため息をつかれた、それは、この人の重荷を自らの重荷とされたということを表しています。
神を賛美する者と
イエス様は、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって「エッファタ」、すなわち、「開け」とおっしゃると、たちまちその人は耳が聞こえるようになり、舌のもつれが解けて、話すことができるようになりました。それを見た人々は、「この方のなさることはすべて、すばらしい」と言った、と記されています(37)。一対一で出会って下さり、わたしたちの重荷を担って下さり、最終的に神を賛美して生きる者として下さる、それが、イエス様がわたしたちにして下さることなのです。
(前川隆一牧師)