そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。 マルコ10章52節
バルティマイの目をイエス様が見えるようになさったできごとです。宗教改革主日のこの日、バルティマイの信仰と合わせてルターの信仰について学びましょう。
ありのままで求める信仰
バルティマイは、第一に、ありのままでイエス様に求めて行きました。ルターの宗教改革の運動も、それは、まさにありのままで神様に向かう道を開く運動でした。ルターの宗教改革の一つの側面、それは、礼拝改革という側面です。礼拝というと神に向かって人間が奉仕するという形態をとるのが一般的です。ルターは、そのアイデアを180度転換をして、礼拝、それは、神がわたしたち人間に奉仕して下さるときであるということを明らかにして行きました。恵みにより、信仰により、ありのままで、わたしたちは、神様の前に出ることができる、ということをルターは明らかにして行きました。
結晶化された願い
第二に、バルティマイは、その願いが結晶化されていました。同じように、ルターも一つのことに集中して行きました。ルターの宗教改革の運動は、歴史の大きなうねりとなり、中世から近世へと時代の扉を押し開いていく大きな運動へと発展して行きました。けれども、それは、最初から意図したものではなく、人間はいかにして救われるのか、聖書は何と言っているのか、とルターが聖書に集中して行った、そこから生まれて行った運動でした。
イエス様に従う信仰
第三に、バルティマイは、いやされた後、イエス様に従う者となっていきました。同じように、ルターもイエス様に従って行きました。バルティマイが、さまざまな人生の試練を経験しながら、そのたびに、十字架を通して与えられる主の安心に支えられて、立ち、歩んで行ったように、さまざまな試練を経験しながら「我ここに立つ」と、イエス様によって立ち上がらせていただき、歩ませていただく歩み、それが、ルターの歩みでした。
(前川隆一牧師)