わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。                  ヨハネの黙示録21章22節
 

新しいエルサレム
神様が祝福の通路として選ばれたイスラエルという民族、そのイスラエルの民が定住するようになったエルサレム、その中心である神殿。新しいエルサレムである、キリストの教会。でも、それはやはり限界がありました。けれども、神様が天国において備えて下さっている新しいエルサレムは様子が違っています。光の根源である神ご自身が臨在して下さるゆえに、「太陽も月も、必要でない」と言われています。何の妨げもなく神様と交わり、兄弟姉妹と交わることのできる世界、それが、新しいエルサレムであり、天国の現実なのです。

神の小羊
第二に、その新しいエルサレムの中心は何かということに心を留めたいと思います。22節で、「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである」と言われています。イエス・キリストは、このような栄光に輝く場所を準備し、その主となられたにもかかわらず、わたしたち人類のために罪の犠牲となって屠られた神の小羊であるという姿を失っておられないということです。新しいエルサレム、天国の栄光の中心、それは、イエス・キリストの十字架であるということです。

だれがそこにはいるのか
第三に、その新しいエルサレム、天国に、どのような人が入ることができるのか、ということについて心に留めたいと思います。今日の福音書、マタイによる福音書5章4節には、「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」と記されています。また、5章3節には、「心の貧しい人々は、幸いである、天の匡はその人たちのものである」とあります。天国、それは、決して立派な人の行くところではありません。自分の弱さ、もろさ、罪深さを示され、砕かれ、そこで、イエス・キリストとであった人、イエス・キリストの救いを受け取った人、その人こそが天国に国籍を持つ人としていただけるのです。

(前川隆一牧師)