「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩篇23:1-4)
詩篇23篇は一見平和な状況で詠まれたような、のどかな詩篇です。しかしこれを詠んだとされるダビデ王の毎日は、敵からも味方からも常に命を狙われているという緊張の連続でした。そんな中で、なぜダビデはこんなのどかな詩篇を詠めたのでしょうか?
それは、「どんな状況でも神様はわたしと共にいて下さる。神様はこんなわたしを愛して下さっている」という確信があったからでした。その確信は「自分は神様の前に落ち度なく歩んでいるから」という自信からきたものではありません。ダビデは部下の妻と関係を持ち、その夫をわざと戦場で死なせる、という恐ろしい罪を犯しました。しかしその罪を悔い改めた時、神が自分をゆるして下さったこと、そして雪のように白くして下さったことを信じたのです。
わたしたちも、見た目にはダビデのようなことはしていなくても、心の中で、神様に対しても人々にも対しても、毎日多くの罪を犯しています。そのままでは永遠に罰を受けるしかありません。しかし神様は、わたしたちの罪・あやまちを全部御子イエス様のせいにして、イエス様を十字架につけて罰しました。ここに神様がわたしたちを愛して下さっている確かな証拠があります。ダビデはやがて来たる救い主イエス様を信じる信仰によって、あのような詩篇を詠むことが出来たのでした。
わたしたちは「神様はわたしと共にいて下さるんだ!」「神様はこんなわたしを愛して下さっているんだ!」のあとに、すぐ「ろうか」をつけてしまいます。「神様はわたしと共にいて下さるんだ・・ろうか?」「神様はこんなわたしを愛して下さっているんだ・・ろうか?」
皆さん、ろうかに立ってはいけません。それは悪魔のささやきです。悪魔の言葉ではなく、神様の約束の言葉の上に立ってください。「わたしはあなたを愛している!」「わたしはあなたと共にいる!」子よ、あなたの罪はゆるされた!」この約束に立ち、喜びに包まれて、周りの人たちに神様の愛をあらわして行きましょう。
(永田令師)