しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。 ルカ10章42節
イエス様がマルタとマリアという姉妹の家に迎えられ、もてなしをお受けになったできごとです。
活動的と受動的
ここのところは、マルタとマリアのそれぞれの姿の中に、活動的な奉仕と受動的な奉仕、活動的な生活と受動的な生活の二つのタイプを見て、どちらが尊いか、価値があるか、という風に論じられて来たところでもあります。でも、ほんとうにそうなのでしょうか。
「よきサマリア人のたとえ」とこの「マルタとマリア」
また、ここのところは、前後の文脈で見ると、先週学んだ「よきサマリア人のたとえ」のすぐ後に記されています。「よきサマリア人のたとえ」とこの「マルタとマリア」の箇所というのは、イエス様が全く逆のことを教えておられるということができます。「よきサマリア人のたとえ」と「マルタとマリア」のお話、それは、まったく逆のことが教えられており、バラバラのことがここで教えられている、ということなのでしょうか。
必要なことは一つ
この箇所は、活動的な奉仕と受動的な奉仕、活動的な生活と受動的な生活、そのどちらが尊いか、価値があるか、ということが論じられているかと言うと、それはそうではありません。イエス様は、マルタに向かって、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」とおっしゃいました。また、「よきサマリア人のたとえ」と「マルタとマリア」のお話、それは、まったく逆のことが教えられており、バラバラのことなのでしょうか。それもそうではありません。わたしたちは、マリアのようにへりくだってみことばに聴くことを通して、よきサマリア人のように、ほんとうの意味で憐れみに生きる者とされるのです。
(前川隆一牧師)