「良き心」で満たして頂きましょう  (ルカ14:7~14)

イエス様は「招待されたら、自ら、上席に着いてはならない」と仰いました。当時、人を指導する立場にあった人達が律法を守ることに関し、見た目に重点を置いて人々を指導し、神様がどう言う経緯で律法を示されたのかを忘れてしまっていた事にイエス様が心を痛められた結果、口にされたお言葉だと思います。
私達も招待を受けた時とかそうではないとかに留まって、このお言葉を聞き流してはなりません。「慇懃不遜」と言う言葉はありませんが、あえて、「慇懃不遜では無く、即ち、うわべだけでなく、心の底から謙虚になりなさい」と、仰っているのではないでしょうか。「心の底から、“良き心”を取り戻しなさい」とも仰っているように思います。天地創造の時代、人間が神様から与えられた「良き心」を思い出し、神様に対しても他人に対しても、謙虚になりなさい。それが全ての原点であるとお諭しになっておられるのではないでしょうか。そして、この「良き心」が人間の努力でかちとることの出来ないものであることも忘れてはならないと思います。
ところで、イエス様のお言葉は厳しい時も、優しい時もあり、そのいずれであっても、いい加減に受け止め、受け流しているとすれば、それは改めなければなりません。また、イエス様は、「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」(ルカ10:42)と仰いました。そして、私達が、心に留めたい「ただ一つのこと」とは、イエス様のお言葉、即ち、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」(ルカ10;27)であり、そのお言葉を少しでも実践することではないでしょうか。そして、このお言葉に従って一歩、歩み出すその時の土台が、私たち一人一人の「良き心」であると仰っているのではないでしょうか。
試練や困難が続くとしても、耐える力と知恵を神様が与えて下さることを信じ、そして、イエス様の御言葉を聞き流すのではなく、「良き心」で満たして頂くことを真剣に願い、この一週間を歩ませて頂きたいと思います。

(石丸武史長老)