神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。Ⅰコリント1章30節
今日の使徒書で繰り返されていることば、それは、「知恵」ということばです。
神の知恵
第一に、「キリストの十字架」、そこに、神の知恵が表されているということを覚えましょう(23~24)。神様は、一点の染みもない聖いお方です。義なるお方、正義のお方です。そのままでは、罪人であるわたしたちを迎えることのできない聖なるお方です。でも、同時に、神様は愛なるお方です。なんとかして、罪人であるわたしたちを救おうとされました。その神様があなたの罪、わたしの罪を、キリストの上に置いて下さった、それが、イエス・キリストの十字架のできごとでした。キリストの十字架、そこに、神の力、神の知恵が表されているのです。
神の知恵を理解する人
第二に、その神の知恵をどのような人が理解することができるのでしょうか(26~27)。もし、知恵のある人が神の知恵を理解することができるということだったら、理解できた人は高ぶってしまいます。では、劣等感におちいっている人を神様は選ばれるのでしょうか。それもそうではありません。劣等感は、傲慢の裏返しなのです。では、神様に選ばれた人とはどのような人なのでしょうか。それは、神様の前に罪人であると認めた人なのです。聖い神様の前に、滅ぶべき罪人であると認めた人、その人こそが、神の知恵を理解することができるのです。
神の知恵に生きる
第三に、そのような神の知恵を理解した人はどのように生きるように召されているのでしょうか(30)。「知識が深まれば、悩みも深まる」とコへレトの言葉にあります。それは、神様に背を向けて歩む限り、わたしたちは取り込もう取り込もうとしてしまうからです。それに対して、神の知恵、それは、どのようにすれば、よりよく愛することができるか、仕えることができるか、という知恵をわたしたちに与えて下さるのです。神の知恵に導かれて、愛し、仕え、主を証しして行く者となって行く、そのようにとわたしたちは召されているのです。
(前川隆一牧師)