不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。 Ⅰペトロ2章19節
不当な苦しみを受ける場合の処方箋が教えられています。
おそれる
ここで問題とされていることの本質、それは何でしょうか。それは、「救い」ということです。「不当な苦しみ」からの救い、それは、その関係、人間関係から解かれるということではないでしょうか。けれども、ペトロは、「神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです」と言っています。ペトロは、長いものに巻かれろ式に、不正や悪に対して目をつぶれ、ということを言っているのでしょうか。今日の箇所を解く鍵、それは、18節の「おそれ敬って」ということばにあります。神様が自分の上に置かれた主人として、神を畏れる同じ思いをもって敬いなさい、ということがここで教えられているということです。このように見て来ると、今日の箇所は、実は、先週学んだことの展開ということができます。神を畏れる畏れの故に、その神がわたしの上に置いて下さったその存在を敬いなさいということが今日の箇所で教えられているということです。
現実を見る
とともに、具体的に神を畏れて生きる、それは、目を覚ましている、現実から目を背けないで生きるということでした。今日の箇所においても、ペトロは「不当な苦しみ」ということに対して、安易な解決を与えようとしたりしていません。しっかりと現実を見据えるようにと勧めています。
祝福の中で見る
そして、神を畏れて生きる、それは、神様の祝福の中で現実を見るということでした。わたしたちは、ののしりを受けて悔しい思い、苦しめられた辛い気持ちをイエス様にぶっつけて、受け留めていただくことができるのです。イエス様に受け留めていただいて、その傷をいやしていただく。その上で、わたしたちは、キリストを模範として歩むことができるのです(24)。キリストを贈り物として受け取る。その上で、わたしたちは、キリストを模範として歩む。この順序がたいせつです。
(前川隆一牧師)