福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
ローマ1章17節
パウロが、ローマの教会に訪問したいという願いを持っているということ(8~15)、福音の力ということ(16~17)を語っているところです。
感謝
第一に、パウロは、感謝という実を結びました(8)。ローマ、それは、当時の世界の中心であり、そこに存在しているクリスチャンは、一握りの存在でした。けれども、パウロは、そのローマにあって、救われたクリスチャンの群れがある。それは、全世界に広がって行くインパクトを持っている、ということを信仰の目をもって見ていた、ということでした。
祈り
第二に、パウロは、祈りという実を結びました(9~10)。パウロは、感謝すべきところであるローマに行きたい、行って奉仕したい、と願いが起こされたときに、具体的にまずしたこと、それは、祈りでした。
奉仕
第三に、パウロは、奉仕という実を結びました(10~12)。パウロは、ローマのクリスチャンたちのために祈っていました。けれども、それだけでは足りない。なんとかして、ローマにまで行きたい。ローマのクリスチャンたちに会いたい。会って、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいと思いました。救いの恵み、祈りの恵み、信仰の恵み、そういったものは、言わば神様をリモートコントロールして伝えることができるものではありません。人格的な出会いを通してのみ、伝えることができるものなのでした。
パウロは、感謝という実、祈りという実、奉仕という実を結びました。では、その根っこは何だったのでしょうか。それは、「神の義」ということでした(17)。パウロにとって、贈り物として、プレゼントとして、受け取った神の義、それこそが、根っこであり、原動力でした。
(前川隆一牧師)