それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。

                            ローマ5章11節
 
神との平和を土台として希望に向かって歩む、それがのクリスチャン生活である、とパウロが教えているローマ5章1~5節の続きの部分です。

希望の土台
第一に、わたしたちの希望の土台、それは、何であるか。それは、ずばり、神の愛、キリストの十字架の愛である、ということが教えられています(6~8)。クリスチャンになったが故の試練、苦難ということを経験する場合があります。けれども、そこで、わたしたちは、父なる神様が御子キリストを十字架に渡されたその愛の何分の一かを知る者とされるのです。わたしたちが希望に生きる、その土台、それは、神の愛、キリストの十字架の愛であるのです。

希望に生きる
第二のこと、それは、わたしたちが希望を持って生きるとは具体的にどのようなことなのでしょうか。「それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです」(9)。キリストの救い、また、キリストが与えて下さる希望、それは、やがて神様の裁きの座に立ったときにも恐れることはないという将来、未来に対する確信を与えてくれる救いであり、希望です。とともに、現在の様々な戦いの中にあって、力を与え、勇気を与えてくれる救いであり、希望です。わたしたちは、生にあっても死にあっても、キリストを主とし、しなやかに生きるようにと招かれているということです。

誇りに生きる
そして第三のこと。クリスチャンの誇りということ(11)。わたしたちは何を誇りとして生きるようにと招かれているのか。それは、キリストの十字架の死によって、救い、神の子とし、永遠の命を受け継ぐ者として下さった神を誇りとして生きるようにとわたしたちは招かれているのです。そして、神を誇りとし、仕える者として生きるようにと招かれているのです。

(前川隆一牧師)