マタイ:11:25~30
私たちは様々な問題や課題を抱えて生きている。生きる途上で試練のただなかにいて希望を極めて見い出しにくい状況の中で、歩く時があることをイエス様は知っておられる。背負いきれない苦しみ、悲しみを重荷として抱えつつ歩む私たちに、「私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と語りかけ招いておられる。さらに29節では「わたしのくびきを負い学びなさい」と示されている。イエス様のくびきを負うということは柔和で謙遜なイエス様ご自身を自分の内にお迎えする。そしてイエス様に私たちが倣うことである。くびきを負うことによりその生き方が変えられ、古い人であったものが新しい人になり主に養われ、み言葉の力と聖霊の働きにより、魂は成長していく。大切な事はくびきを一人で負うのではなく、イエス様と心を一つにして共に負うことである。くびきを負うことにより私たちは「魂の安らぎ」を得ることが出来る。私たちは主を信頼して悔い改めて重荷を差し出す。そしてくびきを負うことにより、その魂は安らぎ、神様に心から委ねて、恵みの中で生かされている事を感謝することが出来る新しい人につくり変えられていく。実生活ではくびきを負って歩むなんて到底出来ないと考え込んでしまう事柄も起こる。しかし不信の中にある時にも30節のみ言葉「私のくびきは負いやすく、私の荷は軽い」と確かに示されている。今週も主を信じて感謝して委ねる歩みを、みこころをなして下さいと祈る事が出来る私たちでありたいと思う。
(永田洋長老)