わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。         ローマ6章4節

 
「罪に死に、キリストに生きる」と表題のつけられている部分です。

罪に死に
「罪に対して死んだ」ということが言われています(2)。予備陸軍少尉であったの小野田寛郎さん、彼は、太平洋戦争終結から29年目に、フィリピンのルバング島で発見された残留日本兵でした。上官の命令は、終戦によって死んだものとなっていました。けれども、小野田さんは、まだその命令は生き続けていると思い込んでいたのでした。同じように、キリストにあるときに、あなたがたは「罪に対して死んだ」と言っていただくことができるのです。

キリストに生きる
「罪に対して死んだ」、そして、「キリストに結ばれて、神に対して生きる」ということが言われています(11)。それは、ひと言で言うなら、仕える生き方です。キリストの心を心として、仕える者として生きる、それが、「キリストに結ばれて、神に対して生きる」生き方です。そして、それは、自分のがんばりによってすることではなく、ただ神様の恵みによってそのように生きることができるのです。

洗礼によって
では、最後に、罪に対して死に、キリストに結ばれて、神に対して生きる、そのような人生は、どこから始まって行くのでしょうか。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」と言われています(4)。キリストの御名により洗礼を受ける、それは、キリストと一つとされるということを意味しています。今から約二千年前に罪のないお方として十字架で死なれたキリストと一つとされて、わたしたちは、罪に対して死んだ者と見なしていただくことができるのです。そして、キリストに結ばれて、神に対して生きる者としての生き方が始まって行くのです。

(前川隆一牧師)