すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに自分の弱さを誇りましょう。        Ⅱコリント12章9節

 
今日の福音書は、イエス様が、故郷のナザレで受け入れられなかったこと(マルコ6章1~6a節)、使徒書は、パウロが使徒であるということを否定する人々に対してパウロが弁明しているところです(Ⅱコリント12章1~10節)。

色眼鏡
第一に、イエス様も、パウロも、色眼鏡で見られるという経験をしました。そのような人々を反面教師として、人に対して、できごとに対して、また、神様のみこころに対して、ありのままにそのことを受け取って行く生き方を養って行く必要があります。自分の思い通りに行かないときがあります。そんなときも、このことを通して、神様は、わたしをどのように導こうとしておられるのだろうか。このことを通して、神様は、わたしに何を示そうとしておられるのだろうか。そのように、すべてのことを心に納め、思い巡らして行く者とならせていただきたいと思います。

意味
第二に、パウロは、ユダヤ系のクリスチャンたちに対しては、自分が経験してきた苦難、それこそが、使徒とされているという証拠ではないか、と語りました。またもう一方、ギリシャ系のクリスチャンたちに対しては、自分が経験した特別な神秘的体験を語りました。そして、最後に、「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」という自分の信仰について語りました。キリストを信じる信仰、それは、人生の苦難に対して、また、神秘的な体験に対して、そして、弱さに対して、意味を与えてくれるものです。

主の御名が崇められるために
そして、第三に、パウロは、それらのことをある場合には、秘め、ある場合には語って行きました。パウロは、主の御名が崇められるときにのみ、語りました。わたしのために十字架で死んで、復活して下さったキリストの御名が崇められるときにのみ、語り、そうでないときには秘めておく。すべてのことが、主の御名が崇められるために。そのような生き方へとわたしたちも招かれているのです。

(前川隆一牧師)