主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。
ルカ1章45節
受胎告知を受けたマリアが、親類のエリサベㇳを訪ねた場面です。
幸いな人
エリサベトは、マリアに向かって「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と言いました(45)。マリアにとって、救い主の母となるという天使の御告げ、それは、いばらの道を意味していました。けれども、それが神から出たこととして、マリアは、「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」とそのことを受け入れて行きます。ほんとうに、すっきりとした信仰です。
堂々巡りの信仰
それに対して、エリサベト、また、エリサベトの夫、ザカリアの信仰は、それほどすっきりとした信仰とは言えませんでした。エリサベトの夫、ザカリアは、「あなたの家庭に男の子が与えられる。その子は、やがて、救い主の道備えをする者となる」という天使の御告げを受けたとき、それを信じることができず、子どもが生まれるまでの10ヶ月、ことばが話せない者となってしまいました。
聖霊によって
マリアの信仰、それは、すっきりとした信仰でした。でも、どうして、マリアは、これほどまでに、すっきりと神様に従うことができたのか。そのことを聖書は、こんな風に言っています。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」。ルカによる福音書1章35節です。では、いろいろな紆余曲折を経て、神に従う者となったエリサベトやザカリア、彼らは、自分の努力やがんばりによって、神に従うものとなったのでしょうか。そうではありません。彼らの上にも働き、彼らが神に従う者として下さった、それもまた、聖霊のお働きでした。
わたしたちも、自分でも堂々巡りをしていると思えるときがあります。でも、そんなときにも、聖霊は、働き続けて下さっています。そこから、聖霊に委ねることに切り替わって行くよう招かれているのです。
(前川隆一牧師)