だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実なパンで過越祭を祝おうではありませんか。   Ⅰコリント5章8節
 
罪を犯した後にどうするかということを、パウロが教えているところです。

パウロの怒り
コリントの教会には、異邦人の間にもないような罪がありました。けれども、パウロが、いちばん問題にしている、それは、そのこと自体より、それにもかかわらず高ぶっている、悔い改めようとしないコリントのクリスチャンたちの姿勢でした。わたしたちも罪人ですから、罪を犯します。でも、たいせつなこと、それは、その後どうするかということです。

パウロの判定
第二に、パウロの判定ということ。パウロは、「このような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは主の日に彼らの霊が救われるためです」と言いました(5)。それは、罪を犯して、悔い改めないなら、わたしたちの良心がさいなまれます。そのことを通して、肉体はボロボロになったとしても、魂は救われてほしい。そうパウロが願った、ということです。

パウロの勧告
第三に、パウロの勧告ということ。8節で、パウロは、「だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実なパンで過越祭を祝おうではありませんか」と言っています。過越祭とは何か。神様の力強い御手によって、エジプトの奴隷の状態から救われた、解放されたことを記念する祭です。そして、その祭のときに、神様の救いを覚えて食べた、それが、パン種の入っていないパンでした。さらに、それは、やがて、救い主が来られ、全人類が罪から救われる救いということを指し示していました。そして、パン種の入っていないパン、それは、いのちのパンとしてお出でになるキリスト。また、キリストのことばである、みことば。そして、見えるみことばである聖餐を指し示していました。わたしたちは、キリストのことばである、みことば、見えるみことばである聖餐を通して、神様に立ち返るようにと招かれているのです。

(前川隆一牧師)