二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明して下さったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 ルカ24章32節
エマオに向かう弟子たちに復活の主がご自身を表されたできごとです。
ともに歩まれる主
イエス様が近づいて行かれた弟子たちの抱えていた問題、課題、それは、キリストの復活を信じられないということでした。その結果、彼らの心は、悲しみと恐れとむなしさによって占められていました。イエス様は、その弟子たちに対して、どのように対応されたのでしょうか。彼らの心の目、霊の目の覆いを無理やり引きはがして、「わたしである」とご自身を示されたのでしょうか。そうではありませんでした。「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」のでした。
イエスを主と
そのことを通して、弟子たちの心は、変えられて行きました。では、弟子たちの心は、どのように変えられて行ったのでしょうか。二つのことがありました。一つは、目的のエマオに着きましたが、なおも先に行かれようとするイエス様を「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と無理に引き留め、食事の席に着いたときのこと、イエス様が「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しにな」りました。彼らは、パンを裂くという普通、その家の主人がすることを、どうしてともに歩んで下さったその方に委ねたのでしょうか。それは、主の語りかけを聴く中で、悲しみと恐れとむなしさで占められていた彼らの心が変えられて行った、ということを表しています。
あかし人と
弟子たちの心の変化、その第二は、二人の弟子は、道々、聖書を解き明し、そして、食事の席でパンを裂いて下さったお方、それが、復活の主であるということが分かったとき、エルサレムに取って返し、そのことを他の弟子たちに伝えた、ということでした。彼らは、夜中に、エルサレムまで帰り、他の弟子たちにそのことを伝えずにおれない者と変えられたのでした。
(前川隆一牧師)