「しかし、あなたたちはわたしを信じない。わたしの羊ではないからである」。
ヨハネ10章26節
聖書の中で、神様、あるいは、イエス様のことを羊飼い、わたしたちのことを羊と表現されている箇所がいくつかあります。
近視眼
羊という動物、それは、非常に近視眼的な動物です。遠くまで見渡せない。近くのものしか見えない。それが、羊という動物です。ですから、羊をそのままにしておくなら、目の前の草を食べて食べて、食べ尽してしまって、やがて飢えてしまう。それが、羊という動物ということです。わたしたちも、先を見通せない。目の前のことだけを見て、右往左往してしまう、それがわたしたちではないでしょうか。
武器を持たない
羊は、また、外敵に対して自らを守る何の武器ももっていない動物です。ハリネズミは、鋭いハリで、外敵から身を守ります。スカンクは、強力なガスで外敵から身を守ります。羊は、そのような外敵に対して自らを守る何の武器ももっていない動物です。わたしたちもそうではないでしょうか。
欲望によって自らを滅ぼしてしまう
さらに、羊、それは、自分の欲望のままに生きて、自らを滅ぼしてしまう動物です。自分の欲望のままに食べて食べて、丸々と太って、何かの拍子にごろんと仰向けになってしまうと、自分では元に戻ることができなくて、そのまま死んでしまう動物、それが、羊です。わたしたちもまた、自分の欲望のままに生きて、人を傷付け、自分を滅ぼしてしまうそんな存在ではないでしょうか。そんなわたしたちを、神様は、人のことばを通して、状況を通して、また、わたしたちの罪責感を通して、正しい方向へと立ち返らせようとして下さるのです。
わたしたちも羊のように近視眼的な存在で、外敵に対して何の武器も持たず、自分の欲望のままに生きて、自らを滅ぼしてしまう存在です。そんなわたしたちの人生を導いて下さるお方、羊飼いなるお方をわたしたちも必要としているのです。導きを求め、信頼することのできる羊飼いなるお方を必要としているのです。
(前川隆一牧師)