イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」                     ルカ10章58節
 
「サマリア人から歓迎されない」と表題とつけられている部分、「弟子の覚悟」と表題のつけられている部分です。

イエス様に従う広さ
前半の箇所ですが、一つ前の49節からの箇所と合わせて、イエス様に従うことの広さということを教えておられる箇所です。ここで、弟子たちとイエス様と、どこがくいちがっていたのでしょうか。弟子たちが「わたしたち」とイエス様を自分たちの内に引き込もうとしているのに対して、イエス様は、「あなたがた」と、弟子たちと自分との間に線を引いておられるということが分かります。わたしたちも気をつけていないと、このようなくいちがいを経験するのです。

イエス様に従う狭さ
それに対して、今日の後半の箇所、それは、イエス様に従うことの狭さということを教えておられる箇所です。後半の箇所、3人の人が登場して来ますが、特に二番目の人に対するイエス様の対応は、あまりにも厳しいと思える対応です。いろいろなことを考え合わせて、この箇所を正しく解釈するのにもっともふさわしいみことば、それは、マタイ6章33節です。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられます」。配慮は必要です。でも、その上で、備えて下さる神様に信頼して、一歩踏み出して行くことが必要なときがある。それが、ここで教えようとしておられることがらです。

イエス様がして下さること
第三に、イエス様に従う、それは、わたしがすることではなく、イエス様がして下さることです。イエス様はわたしたちの代わりに、十字架の死に至るまで、神様のみこころに従い通し、その上で、わたしたちに対して、「わたしの兄弟」と言って下さったのです。また、「枕する所」もない生涯を送り、たしたちに天のホームを備えて下さったのです(ヨハネ14:2~3)。イエス様に従う、それは、わたしがすることではなく、イエス様がして下さることであるのです。

(前川隆一牧師)