自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。
ルカ12章21節
「愚かな金持ち」のたとえと表題のつけられている箇所です。
わたしの
この金持ちが、「愚か」と言われる、その愚かさとは何なのでしょうか。第一に、この金持ちは、持ち物を自分の所有物と思っていました。この金持ちの言っていることを見ると、「どうしよう。わたしの作物をしまっておく場所がない。・・・そうだ、こうしよう。わたしの倉を壊して、もっと大きなわたしの倉を建て、そこにわたしの穀物とわたしの財産をみなしまいこもう」そのように、言っていると読むことができます。この金持ちは、時間も、財も、能力も、自分のものと思っていた。そこにこの金持ちの愚かさがあったということです。
魂に向かって
第二に、この金持ちの愚かさ、それは、19節でこう言われています。「こう自分に言ってやるのだ。『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ』と。」こここのところ、口語訳聖書では、もっとはっきりと、「自分の魂に言おう」となっています。魂が、ものによって満たされると考えた。そこにこの金持ちの愚かさがあったということです。
神の前に豊かに
第三に、イエス様は、「神の前に豊かになる生き方」ということをお勧めになりました(21)。「神の前に豊かになる生き方」とは、どのような生き方なのでしょうか。パウロは、ローマ5章11節で、そのことをこう言い表しています。「それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです」「神を誇りとする」自分の業績、自分の能力、自分の美貌を誇るのではなく、神を誇りとする。わたしのために十字架で死に、復活されたイエス・キリストを誇りとして生きる。そのことを通して、わたしたちは、ほんとうの意味で、豊かな人生を生きることができるのです。
(前川隆一牧師)