だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。 ルカ14章11節
前半において、客として招かれたときの心得、後半において、逆に、客を招くときの心得ということが教えられています。
けんそん
まず、前半の部分、それは、いわゆる処世術を、イエス様が教えておられるということなのでしょうか。イエス様の教えの中心、それは、何なのでしょうか。それは、11節です。ほんとうの自分の位置を決められるのは、「高くされる」「低くされる」と受身形で言われているように、わたしならざるお方、すなわち、神様によって決められる。それが、ここで、イエス様が教えておられることがらであるということです。
愛を広げる
後半の部分。婚宴のときに、友人、兄弟、親族を招くことをイエス様は、禁じておられるということなのでしょうか。ここのところは、ヘブライ語もそうですが、セム語系の言語の独特の言い回しです。「AよりもむしろBを」と比較をしたいときに、「Aではない、Bである」という言い方をするのです。婚宴のとき、それは、それこそ、友人、兄弟、親族を招かなければならないときです。とともに、「お返しのできない人を招く場を作るべきである」。それが、ここで、イエス様が教えておられることがらである、ということです。
兄弟
では、それらのことを、どのようにして実現していくことができるのでしょうか。ヘブライ人への手紙13章1節で、「兄弟としていつも愛し合いなさい」ということが言われ、また、ヘブライ人への手紙2章11~13節で、「彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで」ということが言われています。わたしたちは、イエス様から、「兄弟」と呼んでいただいた一人一人であるのです。そのことを覚え、そのことに立ち返る。そのことを通して、わたしたちは、ほんとうの意味で、神様によって高くされることを求め、また、愛を広げて行く生き方に歩むことができるのです。
(前川隆一牧師)