ところが、徴税人は遠く立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」       ルカ18章13節
 
「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえと表題のつけられている箇所です。

何を感謝しているか
本物の信仰か偽物の信仰かを見分けるリトマス試験紙、その第一は、「何に感謝しているか」ということです。感謝するということはとてもたいせつです。このファリサイ派の人も感謝しました。けれども、ファリサイ派の人の感謝、それは、自分がこれこれこういうことをして来たことを感謝します、という感謝でした。言わば、自慢話であり、祈りというより独り言でした。「何に感謝しているか」、それが、本物の信仰か偽物の信仰かを見分ける第一のリトマス試験紙です。

何を基準としているか
本物の信仰か偽物の信仰かを見分ける第二のリトマス試験紙、それは、「何を基準としているか」ということです。このファリサイ派の人は、人との比較の中で自分を正しい者とした、ということです。けれども、それは、基準とするものがまちがっていました。わたしたちが、基準とすべき、それは、神のみこころであり、神のことばです。「何を基準としているか」人との比較の中で、自分の位置を確かめようとしているのか、それとも、神を基準とし、神のことばを基準としているのか、それが本物の信仰か偽物の信仰かを見分ける第二のリトマス試験紙です。

何を見上げているか
そして、本物の信仰か偽物の信仰かを見分ける第三のリトマス試験紙、それは、「何を見上げているか」ということです。徴税人は、「罪人のわたしを憐れんでください」と言いました。この「憐れんでください」という動詞の名詞形が使われている、それが、ヨハネ第一の手紙2章2節です。徴税人は、自分の努力やがんばりによっては救うことのできない罪人であることを認めて、自分を贖って下さる贖い主、贖いのいけにえを、心の目をもって見上げました。「何に感謝しているか」「何を基準としているか」「何を見上げているか」それが、本物の信仰か偽物の信仰かを見分けるリトマス試験紙です。

(前川隆一牧師)