私たちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。 歴代誌上29章14節
「ムナ」のたとえ(ルカ19:11~27)
このたとえ話では、「立派な人、主人=イエス・キリスト」「しもべ=クリスチャン」「敵対する国民=イエス・キリストに敵対する人」の3つの人たちが登場します。
このたとえ話は、イエス・キリストが再びこの世に来られるまでにクリスチャンである私たちがどう生きていくのかということが教えられています。
私たちは1ムナを与えられている
1ムナとは何でしょうか?それは、「信仰」「救い」「恵み」「平安」など神様からいただいたものです。1ムナは、しもべたちに平等に渡されたものなので、すべてのクリスチャンが平等にもらっているものです。私たちは、神様から特に信仰という大切なものをいただきました。私たちがどんなに努力をしても、成功したとしても信仰は手に入れることができません。そして、この信仰は、私たちに良い行い(神と人に愛して仕えること)をさせてくださる力です。
1ムナから10ムナを儲ける生き方とは?
ザアカイの話を思い出してみてください。ザアカイは、イエス・キリストに出会って、生き方が「自分が儲けることよりも人に与える人」と変えられました。実際の儲けは減ったと思いますが、彼は隣人を仕えていくという神様の御心を行う人になりました。これこそが10ムナを儲けるという生き方です。
私たちがいただいた信仰は、良い行いをさせてくださいます。そのような素晴らしい信仰を受け取り、神様が与えてくださった場所(家庭、仕事、学校)に踏み出していきましょう。
私たちにはとうてい考えられない、理解できない神の平安が、私たちの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守られますように。
(高平真生師)