「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」 ルカ20章38節
「復活に関する問答」と表題のつけられている箇所です。
議論のための議論
第一に、サドカイ人の議論、それは、議論のための議論でした。サドカイ人たちの議論、それは、体を使おうとせず、頭だけで、ああでもない。こうでもないとひねくり回している。そんな議論でした。わたしたちが、チューニングのあった信仰生活を歩もうと思うなら、行動するということがたいせつです。
神を知らない
第二に、「神の力を知らない」という点で、サドカイ人たちの議論はチューニングが合っていませんでした。サドカイ人たち、彼らは、「天使に等しい者」として造り上げて下さる「神の力」知りませんでした。「神の力を知る」「神を計算に入れて聖書を読み」「神を計算に入れて信仰生活を歩む」それが、わたしたちがチューニングのあった信仰生活を歩むための第二のことがらです。
聖書を知らない
第三に、「聖書を知らない」という点で、サドカイ人たちの議論はチューニングが合っていませんでした。彼らは、自分たちの狭い考え方の枠の中で物事を判断しようとする人々でした。聖書を全体として学ぼうとしていませんでした。また、逆に、彼らは、聖書を読むための焦点が合っていませんでした。聖書の中心、それは、キリストであり、キリストを通して、聖書を読むとき、ほんとうの意味で、聖書は解けて来るのです。まさに、そのキリストご自身が目の前にいらっしゃるにもかかわらず、自分たちの狭い視野の中で、議論のための議論を展開している。そこに、彼らの悲劇がありました。
「聖書を知らない」このサドカイ人たちを反面教師とし、キリストに焦点を合わせて聖書を読むこと。「神の力を知らない」わたしたちは、キリストに焦点を合わせて聖書を読むことを通して、神様を計算に入れて信仰生活を歩むこと。そして、その上で、行動して行くこと、遣わされて行くことがたいせつです。
(前川隆一牧師)