神は歓呼の中を上られる。主は角笛の響きと共に上られる。   詩編47編6節

今日の詩編47編と、今日の福音書、ルカによる福音書27章の共通していること、それは、賛美ということです。

神様を見上げて
わたしたちは、どのようにして、神をほめたたえる者、賛美する者となって行くことができるのでしょうか。今日の詩編47編6節は、ダビデが賛美をもって、契約の箱をエルサレムに運び入れたできごとを彷彿とさせる節です。ミカルは、横を見、人を見て、ダビデを蔑みました。それに対して、ダビデは、神様を見上げて、神様を賛美しました。神様を見上げる。そこにダビデの信仰がありました。

神様に信頼して
ルカによる福音書は、その始まりも、賛美でもって始まっています。ザカリアは、主の聖所で祭司としての務めを果たしていたとき、天使によって、ヨハネの誕生を告げられますが、それを信じることができませんでした。そのために、ヨハネが生まれるまでの十ヶ月の間、口が利けなくなってしまいます。沈黙の十ヶ月の後、天使から告げられた通り、「この子の名はヨハネ」と板に書いた途端、ザカリアは、口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めました。ザカリアの賛美、それは、神様に対する信仰、信頼を取り戻すことを通して、口からあふれ出た賛美でした。

主の祝福を受けて
詩編47編の6節、それは、また、イエス・キリストの昇天のできごとを指し示している節でもあります。イエス・キリストは、全人類の罪の裁きの身代わりとして十字架で死なれました。そして、救いの道が完成したことの保証として復活されました。そして、罪と死と悪魔の力に勝利したお方として、弟子たちを祝福し、祝福したままのお姿で天に帰って行かれました。キリストの昇天と再臨の間の時代、主の祝福の時代を生きる者として、わたしたち、主の祝福を豊かに受け取り、さまざまなことがある中で、神様を見上げ、神様に対する信頼をもって、神様を賛美し、ほめたたえつつ歩む者と主に導かれているのです。

(前川隆一牧師)

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