御言葉が開かれると光が射し出で 無知な者にも理解を与えます。
詩編119編130節

福音書は、「天の国のたとえ」をイエス様が語っておられるところです。

からし種のたとえ、パン種のたとえ
「からし種」のたとえと「パン種」のたとえ、それは、「天の国」は命をもって成長するということを教えています。もしかしたら、今までの教会の枠組みを超えたところで、神様は働かれるのかもしれない。そのような自由さを持ちながら、今の時代、どのように神様は働こうとしておられるのか。柔軟なこころをもって神様に聴き、従って行くようにとわたしたちは招かれているということです。

「畑に隠された宝」のたとえと「真珠」のたとえ
次に、「畑に隠された宝」のたとえと「真珠」のたとえ。とくに、「畑に隠された宝」に注目したいと思います。そこで教えられているのは、「天の国」それは、「隠された宝」である、ということです。イエス様は、多くの人の病を癒されましたが、多くの場合、「このことを言ってはならない」と、イエス様に癒されたことを隠すようにおっしゃいました。それは、いやしということが独り歩きし、イエス様の本来の働き、使命が妨げられることを恐れられたのでした。わたしたちも、絶えず絶えず、「天の国」それは、「隠された宝」である、「天の国」、「福音」の中心は、十字架の赦しであるということに目を留めておく必要があります。

網引きのたとえ
第三のたとえ、それは、「網引き」のたとえです。「天の国」、「福音」、それは、わたしたちを救い、生かし、成長させてくれるものです。けれども、何もかも水に流して受け入れるというようなものではありません。そこには、明確な裁き、審判があるということです。

「天の国」、また、「福音」は、命として、わたしたちに生きる力を与えます。また、隠されたもの、すなわち、十字架の救いを通して、永遠の救いを与えます。さらに、それは、裁き、審判、何が真実であるかという真理を教えてくれます。このような知識、それは、みことばが開かれることを通して与えられるのです。

(前川隆一牧師)

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