わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。     ヨハネによる福音書6章35節

イエス様によるパンの奇跡のできごとです。

聴く訓練
今日は、主の訓練という側面から今日の福音書を眺め直してみたいと思います。弟子たちが、主からどんな訓練を受けたのか。それは第一に、聴くという訓練でした。この奇跡のできごとだけを取り出して、クローズアップするということはまちがっています。イエス様が弟子たちをお教えになったその教えに基づいて奇跡を行われたということが、この箇所のたいせつなポイントです。

聴いて従う訓練
第二に、それは、主に聴き、それに従うという訓練でした。イエス様に聴き、従った弟子たちだけが、それが、イエス様による奇跡であるということが分かったのでした。主が奇跡を行われるのに、弟子たちをお用いになった。主に聴き従うことを通して、主のみわざを拝することができた。それが、このパンの奇跡でした。

主に栄光をお返しする訓練
第三に、弟子たちが主から受けた訓練、それは、主に栄光をお返しするという訓練でした。このできごとの後、人々は、イエス様を王にしようとしました。それに対して、イエス様は、また、群衆から身を引いて行かれました。初代の多くのクリスチャンたちは、迫害の中にありました。命の危険の中にありました。そのような中で、このパンの奇跡が、どうして、クリスチャンたちの慰めとなり、励ましとなったのでしょうか。それは、やはり、主イエス様がいのちの主であるということを通してでした。しかも、それは、肉を裂き、血を流し、自らのいのちを十字架で献げることを通して、いのちを与える主であるということを通してでした。

わたしたちも、同じ訓練を受けることを通して、弟子たちが経験した同じ主を経験することができるのです。それは、この礼拝を通して、聴くということです。そして、一週間、聴いたみことばに従うということを通してです。そして、主に栄光をお返しし、また、礼拝に帰って来るということを通してです。

(前川隆一牧師)

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